ユーチューブ 五十嵐敬喜:上原公子 市民公開講座の映像
2012年3月28日 法政大学大学院にて録画
国立マンション訴訟というと、何を連想するだろう。多くの人は、美しい学園都市"国立"の景観を守るために、市民や市長が立ち上がって、デベロッパー側に高さ20mを越える部分の撤去を裁判で勝ち取った市民自治の画期的な出来事、そしてこの事件を契機に日本の各自治体において景観法策定の動きが拡がったと記憶しているのではあるまいか。
しかし、今国立市の現実の姿や市民の生活環境をじっと見つめる時、それが間違っている認識であることに気付かされる。確かにどんなことにも明と暗がある。実際、美しかった国立の景観は、どんどんそうでない方向に流れているように見える。今や景観法の精神は、国立の大学通りという限られた地域のみに限定的に適用され、それ以外の地域は、無原則な開発が着々と進められているのが現実である。
例えばかつてそよ風が通ると呼ばれた旧国立駅舎は高層化され、新しい駅舎の北側にへばり付くように高層マンションが建設されてしまっている。次々とドイツのゲッチンゲンをモデルにした学園都市の景観は破壊されつつあるのだ。
一方、かつて、景観法の生みの親として日本中の注目を浴びた元国立市長上原公子氏は窮地に陥っている。あろうことか、高層マンションを建てたマンション業者は、上原氏と国立市に4億円の損害賠償訴訟を起こし、減額されたものの、2千5百万円の支払いが最高裁で確定し、国立市はこの金額を業者に支払ったのであった。ここから問題は、さらにややこしくなる。当の高層マンションに住む住民が行政訴訟を起こし、国立市に損害を与えた上原個人に、国立市が支払った賠償金と金利を支払えというものである。(注:実はマンション業者は、国立市によって支払われた損害賠償金は、そっくりそのまま市に寄付している。)当初、上原市政を受け継ぐ市長が誕生したものの、その後選挙で、上原市政に批判的な市長が選挙によって選ばれ、市によって訴えられた元上原市長には、賠償金の2千5百万円にその間の金利が合計され3千万円の支払いが求められている。実に理不尽な事件である。
この問題の奥には、地方自治法の改正があるようだ。市民が、公共の利益を度返ししたような政治家や行政に対し損害賠償を提訴できる仕組みは必要だ。だが、それこそ安易に政策や違憲の異なる政治家や行政機関に、何でもかんでも訴訟を仕掛けることは、民主主義的権利の乱用になることは自明だ。そんなことが頻発すれば、政治家や行政官庁の職員になる人物などいなくなってしまいかねない。
そこで五十嵐敬喜教授は、マックス・ヴェーバーの古典中の古典「職業としての政治」の概念を引きながら、改めて"政治家とはなにか"、"それはどんな職業で"、"政治家の責任とは何か"、"どの範囲に及ぶか"を検証し、上原公子氏には、その政策決定過程においても、政治家としても違法性のないことを論証する。五十嵐氏によれば、これは単に上原氏一個人の支援のためだけで行った論究ではないということだ。それは五十嵐氏の言によれば、「自らの政治信条と政策理念に基づいて行動した政治家の責任やその範囲を、2012年という現在において、確認することになる」とのことであった。







by arthur
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